伝えたいこと

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「死」を選択するということ

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 2017年7月20日、世界的人気を誇る「Linkin Park」のフロントマンであるチェスター・ベニントン氏がロサンゼルスの自宅で亡くなりました。首吊り状態で見つかったことから、自殺と考えられています。41歳の若さでした。

チェスターとわたし

 わたしとチェスターの出会いは、わたしがまだまだアイデンティティが確立しきれていなかった思春期にさかのぼります。精神的な自分自身の「居場所」に苦しんでいたわたしは、人間の痛みを曲にして表現するチェスターの音楽活動に感動を覚えたことをいまでも覚えています。
 チェスターは幼少期に両親が離婚をしたり身内に性的虐待を受けていたりしたこともあり、チェスター自身もドラッグ中毒になっていたということは、私を含めてLinkin Parkファンには割と有名な話であると思います。
 チェスター自身のそのような過去の苦しみは年を重ねていっても消え去ることはなく、その苦しみは先述のように彼やLinkin Parkが作った曲に顕著に表現されています。チェスターの書く歌詞は当時のわたしが感じていた、説明することのできない「無名の苦しみ」を完璧に表現していたため、わたしにとっては「代弁者」のような存在だったと思います。

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 チェスターの死

 Linkin Parkのライブには惜しくも一度も行くことができなかったため、結局わたしの憧れの人物であるチェスターにも一度も会うことがありませんでした。わたしは音楽を聴くことが大好きなので、お気に入りのアーティストはほかにもたくさんいますが、そのなかでもチェスターは別格でした。先述のとおりわたしが苦しかった時にこころの支えになっていたのは、まぎれもなくチェスターの書いた歌詞だったからです。
 今回のチェスターの自殺は、言ってしまえばわたしにとってはショック以外のなにものでもありません。一緒に肩を並べて苦しんでくれた友達が死んでしまったような、そういう心境です。
 チェスターは生前のインタビューでは、ドラッグ、アルコール中毒は克服したと言っており、ライブや写真で見せるその表情は作り笑いではなく、素の笑顔だったようにみえたため、楽しい人生を送っているのだとばかり思っていました。人間には一人一人、誰にも言えないような苦しみを抱えていることを再確認しました。
 チェスターの苦しみのひとつは、親友であるクリス・コーネルの自殺にあるといわれています。今年5月にクリス・コーネル氏が自殺。チェスターは彼の葬儀の際にはメッセージを送ったそうです。そしてそれから2ヶ月経った昨日7月20日にチェスターが自殺。実は7月20日はクリス・コーネル氏の誕生日だったそうです。
 親友の死がチェスターの自殺のすべての原因であるということは誰にもわかりませんが、精神的に不安定な状態に親友の自殺が重なったことが、チェスターの苦しむを一層増大させたということはわたしたちにも考えられることです。

「いのちを生き切る」ということ

 世界中の宗教の多くは、自殺は罪や悪いというように伝えられているものが多いです。そのため宗教的に考えて自殺が悪いのかについては自明ですが、わたしにとって自殺それ自体はただ死に方の一つの選択肢だったということにしかすぎません。
 ただわたしが自殺について考えることにどのような難しさを感じているかというと、「いのちを生き切る」ということを辞めてしまわなければならないということです。。社会は基本的に不条理なことの連続であり、「つまらない」と形容してしまえばそのとおりであります。もちろん楽しいことやうれしいことなどポジティブなこともありますが、比重で考えれば不条理のほうが圧倒的に大きいです。
 そのような社会に生きる人間に生まれたことは、不幸に思うことがあるかもしれません。わたしも人間に生まれたことを不幸なことであると感じていたことがありましたが、今ではそれは絶対に否定されなければならないことであると感じています。
 わたしが人間として生きていくために最も重要なことは何なのかというと、「いのちを生き切る」ということです。不条理な社会のなかでも、「いのち」の大切さ・尊さを実感しながら、人生の有限性を自覚したうえで無駄な過ごし方をしないこと、それがわたしの考えている「いのちを生き切る」ことです。
 自殺はわたしが考えている「いのちを生き切る」ことのむずかしさを表しています。すべての人が様々な理由でいのちを生き切ることは難しいです。それは当たり前といえます。なぜなら、一人一人物事に対する受け止め方が違うからです。傍から見たらなんでもないようなことであっても、ある人にとっては人生を大きく変えてしまうような受け止め方になってしまうこともあります。それが自殺だったり、ひきこもりだったり、不登校だったりといったかたちで現れます。十人十色というように、一人一人が「違う」という条件だからこそこのようなことが起きますし、人生を生き切ることの難易度にも一人一人の「違い」があります。だから自殺は「いのちを生き切る」ことの難しさを表しているのです。

ひとりにならないこと

 しかしとらえ方の違いは認めても、いのちを生き切ることは人間として生きる上でもっとも重要であることに変わりはないように思います。病死、自然死、老衰、事故死、いろいろな死に方があります。それらはその時点でいのちの限界であると思い、何も論じることはできないことです。しかし自殺に限っていうと、まだまだ先も生きることができるということになります。いのちを生き切る可能性がまだまだ残されています。だから色々な死に方の選択肢として自殺もあるといいましたが、いのちを生き切るためには、自殺は選択肢にあっても絶対に選んではならないです。
 自殺を選ばないために一番重要なことは、ひとりぼっちにならないこと。学校の先生、家族、友達、、、誰でもいいです。誰かに自分の気持ちを話すことによって、心の整理ができて最も大切なことはなにかを考えられるようになります。
 しかし社会を見回してみると、誰にも相談できない人がいることも事実です。勇敢に孤独と戦っている人がいます。そのような人々の助けになるのは、ひとつは自殺のホットラインです。大切なことは、誰かわからない人でもいいので、ひとりぼっちにならないことです。

 

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社会は生きづらい

 わたしの研究にも関係することですが、基本的に社会は生きづらいです。自分らしく生きることが難しくなっているのが現代社会の特徴です。しかし人間に生まれた以上は、いのちを生き切ることが最も忘れてはならないことです。今回のチェスターの死を受けて、居場所のなさ、生きづらさに苦しんでいる人のために、より一層積極的に研究や実践をしていきたいと思います。